朝、福島県の原発被災を受けた自治体を訪問する谷公一衆議院議員から国の復興支援Nついて伺った後、福島第一原子力発電所に向かいました。福島第一原子力発電所には、1~6号機があり1~4号機は、東日本大震災で炉心溶融や建屋爆発事故などで、INESレベル7に分類される重大事故となりました。
東京電力廃炉資料館では、事故に対する謝罪が随所に明記されていました。
事前申請した身分証明書を持参、発電所内にはカメラ・携帯電話・スマートフォンやスマートウオッチなどは持ち込めません。筆記用具とメモ帳とICレコーダーのみ持ち込み可能で、各自に貸与されたのは入館証とベストと線量計です。セキュリティチェックも何度も行われました。
福島第一原子力発電所内の視察は、バスで移動。発電所では平日1日当たり4120人が作業にあたり、うち約70%が福島県の方。被ばく線量は2.15マイクロシーベルト/年、法令上は50マイクロシーベルト/年。30~40年続く廃炉作業が続くと言われています。
午後は、地震・津波・原子力災害の複合災害による鎮魂の場である太平山霊園にある慰霊碑を訪れました。この高台は、請戸地区の海岸から2kmにある丘陵地にあり、震災時津波避難所として指定されており、浪江町立請戸小学校などが一望できます。震災を経験した方が、生徒と職員全員が無事避難することができた奇跡の学校・浪江町立請戸小学校について話してくださいました。
その方に寄ると全員避難できた理由は3つ
① 2日前に地震があり、先生が避難経路を確認していた。
② 近所の人が「津波が来る」と学校に言いにきたこと。
③ 臨機応変な態度。校長先生と教頭先生が考えている間に、上の人の判断を待たずに教師と子どもたちが校庭に集まった。すぐに学校から1.5キロ離れた「大平山」を目指したこと。6年生が1年生の手をひく、車いすのこどもを介助するなど、上履きのまま避難し、迎えに来た親御さんも一緒に避難したこと。2時46分地震発生で、2時54分に小学校を出発し、子どもらと先生95人は無事でした。
語り部の方が、消防団が避難当日は暗くなったので翌朝6時に捜索開始しようとしていたことに触れて、3月12日翌日の午前5時44分に「第一原発から半径10kmに避難指示」が出て、捜索が出来なかったことが残念で「もし、翌日捜索でできていたら救えた方がいたのではないかと思う。」と話していました。
福島でお話くださった住民・東京電力・国(環境省)の皆さんが、最後に「みなさんがご覧になりお感じになり思われたことを是非、他の方に伝えてほしい。」とおっしゃったことが印象に残りました。
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